妻の帝国(佐藤哲也著)

ジャンル:SF
 内容は見ての通り、としか言いようがない。
 民衆感覚による民衆独裁の理念を掲げた国家の、誕生からその理念の先鋭化により崩壊するまでを描いた小説である。
 それこそ作者がそこからの影響に言及しているオーウェルの『1984年』でありソルジェニーツィンの『収容所群島』であり、おなじみのテーマだとは言えるだろう。
 作者のオリジナリティは「自然な状態で直感的に共有される民衆の意志」(9ページ)である「民衆意志」あるいは「一般意志」、そしてそれを感得する「民衆感覚」を、その暴走する理念として創作した事にある。それは、単純に上手い。
 このような理念が歴史的必然であるとされる事、そしてその優位は絶対であり、疑われてはならない事がその定義の段階で巧妙に取り入れられているからだ。
 この理念が郵便的に浸透していく展開も、寓意が分かりやすすぎるきらいはあるが、まずもって中々に興味深い。現実の郵便機構においてはそれは誤配であるにもかかわらず指令は届き、独裁国家が成立する。ここで一つ重大な疑義がある。民衆独裁のこの国家は、古代の君主制国家という意味でも近代の専制国家という意味でも帝国でだけはないはずなのに、表題が『妻の帝国』である事だ。帝国の成立さえもが理念によるものだ、という立場を作者が取るのならばそれはそれで面白いと思うが、そのような思弁はまるで展開されない。響きのよさを優先して命名した題名なのだろうが、政治小説には政治用語に対する厳密で繊細な感覚が必要なのではなかったか?
 このいい加減な用語法に象徴される近代以前の国家についての見通しの甘さが、否定神学的に大地の法を肯定する、あまりに安易な結末を呼び込んでしまう。
 郵便的な独裁国家も悲惨だが、存在論的な共同体もまた悲惨なのだ。それを忘れて前近代を称揚してみせるのはあまりにいただけない。

 さて、ここからは余談だが、この小説はSF初心者向けかどうか、などという事を考えてみた。
 考えてはみたが、結局言えるのはこの作品で描かれているテーマに興味がある人にとってならば、その人がSF初心者であっても楽しめるのではないか、などというクソつまらない事だけ。SF特有のガジェットが登場しない点は積極的に初心者向けなのかも知れないが。
 ここまで五冊発行されたハヤカワJコレクションだが、どれをとってもこのような特殊な初心者ならば楽しめるタイプのSFであったと言えるだろう。ほぼ全て楽しく読みはしたのだが、それはそれでどうよ、とは思う。

早川書房 2002年6月発行