今日は衛の誕生日

まも
 誕生日おめでとう。来年は何歳になるの? 
 基本中の基本でした。はいちゃんとネタは考えてありますよ。じいやの下着絵がみたい〜って吼えるばかりが能じゃねえんすよこう見えて。
 眼鏡に関する思想的問題、「ゴーグルとかグラサンとかどうよ?」に関する、筆者の個人的な立場は簡単だ。すなわち、「グラサン有理」。しかし、それもきちんと掛けられていればの話だ。
 ところで衛と鈴凛が偽眼鏡である、とはこれは良く知られた話であろう。それもまた、衛は鈴凛互換なる中傷を呼び込む一因となっているわけだが、それはともかくとして、彼女達はその偽眼鏡を頭に載せてはいても鼻に掛ける事はないという特徴をさえも共有している。眼鏡-非眼鏡の境界領域の、ぎりぎり外の位置に、彼女達は頑なに留まり続ける。
 ここでRepureキャラクターズ・鞠絵における眼鏡の扱いを思い出していただきたい。眼鏡なき鞠絵は、死の世界を幻視し、眼鏡をかけた彼女は兄のいる生の世界を見る。シスタープリンセス世界における眼鏡とは、そのようなものであるとまずは考える事ができる。
 眼鏡は、兄を見つめる事を可能たらしめる何かだ。
 その眼鏡を持ちながら掛けない、とは兄を見つめようとしない意志の現われとして、まずは読める。鈴凛が幸せと縁遠い人であるのはその辺なのだが、衛の場合、そもそもサングラスを持たずに現れる事があまりに多い。見ない意志すら、彼女は明示しようとしない。できない。何故なら彼女には、いろんなものが見えていないだけだから。
 Repureにおける、一切眼鏡を持っていない衛は、だからそのような見えていなさを随所で示す。キャンプの話とか。あとBパートもそう。
 ついでに言っておけば、そのような見えていなさと微妙に違う見えていなさ、つまり視力の問題こそが、彼女が身体能力は高いのに球技がヘタな理由でもあるのではないでしょうか。
 なので、誕生日のお祝いに、一緒に眼鏡を作りに行こうと思います。
 ・・・これは単に今日のSF研眼鏡座談会の予行演習なんじゃないかしら。