Rumbling Hearts

 『君が望む永遠』ってのはRumbling Heartsがカッコよく入った時点でもう半分以上終わってる話でして。あとは残務処理が延々続く。いわば『北斗の拳』のサヴァ国編みたいなモン。俺は大好きです。
 さて、遡及的に見出されるにしろなんにしろ、ギャルゲ/エロゲとはトラウマを巡る物語である(まさしくここに古傷を巡って物語が展開するプロレス興行*1との構造的同質性があるわけだが、それはひとまず置く。さらに付け加えて言えばプロレスとギャルゲ/エロゲの違いは、プロレスが未来の古傷を再生産し続ける事で自己成就予言的に物語を展開させ続けなければならないのに対し、ギャルゲ/エロゲにはエンドマークが打てる事である)。
 カッコ悪さでは群を抜くエロゲメーカー・アージュには遡及的にトラウマが見出されるような伏線を仕込むなんて久弥の如きスマートなまねが出来るはずもなく、愚直に遙に車を突っ込ませてしまうのであります。抉り出されるまでもなく、トラウマがぽんと投げ与えられてしまう。その時点で決定的な事態はもう終わっている以上、最早語られるべき事は何もない。
 そこから何が語り得るのか、という問いは中々に興味深いのだが、そこで仕切り直してファミレスで昼メロをはじめてしまうのがアージュのさらにダサいところです。大好き。
 ところで、トラウマは隠蔽されていないとトラウマとして機能しません。一章と二章の間の年月は、なによりも遙の事故を主人公から隠蔽しトラウマ化するための装置だったのであります。無論、隠蔽されたところで、決定的な、取り返しのつかない事態が既に起こってしまっている事をプレイヤーと主人公は確信しているわけです(つーか知ってるわけっすな)。これぞポストフェストゥム。まさしく正調メランコリー。鬱ゲーの代表格の面目躍如と言ったところではあるような気もするのですが、鬱ゲーってのは主人公が鬱なゲームの事なのプレイヤーが鬱なゲームの事なの? よくわかりません、というかそこには主人公が鬱か否かとプレイヤーが鬱か否かとで四つの可能性がある、と言った方がいい。
 それらの組み合わせの中に鈴凛本が多い秘密とかアージュが同人では盛り上がらない理由とかがあるはず。
 そういや11月3日にRumbling Pageant 4がありますね。カリスマはてなダイアラーのみなさんは文学フリマの準備に忙しいでしょうし、同会場のBNLで『ARIA』売らな、とかあるんですが、僕は巨乳っ娘に行きたいです。待ち合わせそっちに変更しませんか>M君いえなんでもないです冗談です今はいちお。『CAROL』の巨乳ルート担当原画さんが表紙一枚書いてくれたら巨乳ルート四方山話本とか作れるねえ申し込みはまだギリギリ間に合うなあ。
 えっと、明日までに原画さんから連絡が来てしまったらそうならないとは限らないのでその時はその時でどうにかなるかもです>M君。
 どうでもいいけど文学フリマって巨乳っ娘か文学フリマかで悩ませてナンボのはずなのにそういう悩み方してるのって俺だけですねふっしぎー。

メモ
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/03.8.html
http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200308.html#18
http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200308.html#18_1

*1:最近の事例で言えば、小川による小橋のひざ破壊