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「あ」
 先に気付いたのは、彼女だった。
 僕はというと、人の顔を見分けるのにイマイチ自信がない。
「キミ・・・だよね・・・?」
「うん。多分、僕」
 よかった、と言いながら彼女は微笑んだ。何年ぶりになるのだろう、その笑顔があの頃と変わっていないのかどうかすら、僕にはさだかじゃないのだ。変わってしまった髪型とか化粧の仕方とか、そういう事しか僕には分らない。
「久しぶりだね、佐々木さん。・・・もう佐々木さんじゃないんだっけ」
 照れ臭そうに彼女がはにかむ。見下ろす僕の視線から、彼女の視線が逃げて――
 自然、大きなお腹に僕の意識は向かう。
「佐々木さん、でいいよ。なんか、改まるのも、ね」
 彼女―旧姓佐々木さんは、僕の高校時代の同級生だった。一番仲が良かった女子だと、まずはそう言えるんじゃないだろうか。そんな彼女と、僕は違う大学に行き、それから何度か二人で、あるいは他の友人達と会って、何もないうちに自然と疎遠になった。
 短大を出た彼女は、職場の上司と就職してすぐに付き合いだし、このほど籍を入れたのだという。
 それで、もうすぐ母になる。
「うん。佐々木さん」
 正直、彼女の申し出はありがたかった。まだモラトリアムを続けている僕には、社会の歯車を彼女は立派に勤め上げているのだと認めるのが、少々辛い。
 それから僕らはお互いの、そして共通の友人達の近況について情報を交換し合った。まだ、僕の就職が決まらない事を聞いた彼女は、「大変だね。でも、キミならできるよ大丈夫」と何の根拠もなく請け負ってくれた。そんないい加減な物言いは、無責任な学生にこそ相応しい。「そうだといいんだけどね」
 殊更に落ち込んで見せた僕は、実は結構落ち込んでいる。それはだって、彼女は多分なんにも変わっちゃいないって事なんだから。
 これから産婦人科へ行くと言う彼女の背中を、僕はなんとなく立ち止まったまま見送った。
「兄さん!」
 振り向かなくてもわかる、妹の声。
四葉
 四葉の髪の毛は短い。その短い四葉の髪の毛は、佐々木さんよりも大分高いところから生えていた。
「今の、どなたですか」
「高校の同級生」
「ふーん・・・。妊婦さんです」
「そうだね」
 彼女の去っていった方向を見つめている、四葉の横顔。それを横切る、眼鏡の弦。
 彼女は何時から眼鏡を掛けだしたのだろうか。
「昔、眼鏡してなかった」
「そうですよ」
「髪も長かった」
 不審そうに、四葉が視線をめぐらせる。眼鏡を掛けているのに、あまり女を感じさせない顔。美少年のような淡い色気を漂わせる
「兄チャマチェキ、て言ってみてよ」
「イヤです」
 何時からか、四葉は僕を兄さんと呼ぶようになった。丁寧な言葉遣いは相変わらず。でも、そこに外国人めいた訛りは最早殆ど残ってはいない。
 彼女は変わった。
「いいじゃん。言ってよ」
「だめですよ」
「兄チャマがお願いしてるのに?」
 ふう、と呆れたような息を吐き出す四葉の頬は紅に染まっていたが、それは夕日に照らされての事だったかもしれない。左眉を吊り上げた表情は、とりあえず不快そうに見えた。
「ごめん。変な事言った」
 四葉から視線を逸らして、僕は頭を振る。どうかしている。きっと、就職活動のストレスが僕の心の柔らかい場所を根深く苛んでいるのだ。
「兄チャマ、チェキよ!」
 陽射はますます角度を強め、振り向いても四葉の顔は近くのビルからの照り返しで殆ど見えない。見えない四葉が、一瞬五年前にいるのかと錯覚する。
「どうしたんデスか? ヘンな・・・ヘンな兄チャ・・・マ・・・」
 僕からは見えない四葉には僕が見えるのか、彼女はその台詞を最後まで言い終える事が出来なかった。
「帰ろうか」
「はい」
 四葉が頷く。肘を出すと、そっと腕を絡めてくる。何年もこうして二人で歩いてきたけれど、この行為の意味も、彼女の中では変わっているのだろうか。
 ドーナツ屋が目に入る。今日は、四葉とドーナツを食べたい、と思った。