浪漫探偵・朱月宵三郎2 無謬邸は暁に消ゆ(新城カズマ著)

ジャンル:ミステリ  
 シリーズ第二作。
 まあ二巻ともなればキャラクターにも作品のノリにも大分慣れて来ているわけで、一巻初読時に感じたような違和感はない。乃乃子もえー。部長もえー。珠紀もえー。
 相変わらずの反則臭い叙述まがいのトリックも綺麗に決まるしホワイダニットを巡る暴走した論理は快感この上ない。
 前作のスケール感こそ失ってはいるものの、至極真っ当な続編ではある。

 さて、ここからはやや余談となるのだが、前作『屍天使学院は水没せり』をファンタジーだとする意見が作者の周囲では多かったという。
 私はそもそも純粋な”剣と魔法”的異世界譚とそれに付随するガジェットの系として以上のジャンルファンタジーの自立性をあまり認めない人間なのだが、その立場を抜きにしてもこのシリーズはファンタジーに括られるべきではない、と思う。
 何故ならこのシリーズではその道具立ての幻想味以上にそれを支える異常な妄想論理にこそ重きが置かれているのだから。
 ”現実”の軸線を暴走する妄想論理で陵辱する小説、それを人はSFと呼ぶ(はい? SFはロジカルファンタジーの一変種に過ぎないって? 成立史的には確かにそう。でも日本では伝統的にロジカルファンタジーはSFに包摂されるのです。だって日本では電流が+から-に流れるんだぜ?)。
 そう言った意味で、このシリーズはまず犯罪事件とその解決を巡るミステリであり、ついで”現実”を妄想論理で陵辱するSFであり、ファンタジーとしての味わいは第三義的なものでしかない。
 このような意見を受け、作者は今作の幻想的な非現実性を抑えたと言う。
 そこは突っ張って欲しかったところ。SFミステリとミステリSFのあわいに、論理の大暴走が現実を犯しつくす、まさしく知的エンタテインメント小説の一つの頂点はあるはずで、他でもない新城カズマが恐れず突っ走ったのならば、きっとその頂きは見えてくるはずなのだ。
富士見ミステリー文庫 2001年12月発行