チョウたちの時間(山田正紀著)

ジャンル:SF  
 まずは入り組んだ構成の小説である。新介の帰郷、マヨラナの失踪、ハイデンベルグとボーアの確執、純粋時間での争闘、通常時間内での人類の未来。これだけのエピソードとプロットをこのページ数に詰め込んでいるのだから、構成は入り組まざるを得まい。
 豊かなアイデアの小説でもある。独特の時間論とそのシンボルにチョウを選ぶセンス、反物質からなる反宇宙生物ブラックホールの中心に住まうブラックホール生物、時空の歪みが生む銘酒“天の甜酒”などなど、あるいは流石山田正紀の一語で済むにしても特異なイマジネーションに満ち満ちた作品である事は間違いないだろう。
 しかし、それよりも何よりもこれはリリカルな青春の文学なのだと思う。自らの外に大きな何かがある、と知ってしまう事がつまり疾風怒濤の思春期なるものだとすれば、それに続く青春とは、思春期の嵐を経てそれを認識し、その何かに向かって戦いを挑む季節なのだ。しかし、その何かは常にあまりにも大きく強く、だから、青春は振り返られた悔恨と、その只中での自己憐憫のために、あまりにもセンチメンタルな季節でもまたあるのだ。
 ところで、SFは大きな何かに向かって行く文学である。SF作家は自らの妄想強度を頼りに大きな何かに戦いを挑む。例えばこの作品は時間と空間とその果てにいる何者かに向かう物語だ。山田正紀は時間と空間の本質を歴史的な事象と人間存在への妄想で解きほぐして行く。
 妄想的なSF小説と、センチメンタルな青春文学。それは本来実に近しいところに位置しているのであり、この両者のリンケージポイントにこそ真に心震わせる青春SFが存立するはずだ。
 センチメントに親和的な時間テーマを選び、シンの戦う青春を新介の平穏な幸福に対置して、どうしようもなく戦わざるを得ないその悲壮を暖かく優しいリリシズムで包み込む。そう、シンの絶望へと向かうしかない青春は、作者と物語によってそれでも肯定、終わらない事を許されているのだ。
 それは日常的な時間意識とSF的な時間論のクロシングポイントが作り出した永続する、美しくもある青春の季節だ。
 青春文学とSF小説の最も幸なリンケージポイントが、ここにはある。
徳間デュアル文庫 2001年4月発行