祈りの海(グレッグ・イーガン著)

ジャンル:SF

 読み終えたあと、暫く何も手につかなかった。

 古典的な文学の題材――人間の尊厳――について、極限まで自然科学的に思考し、その思索を、小説の形に結実させる。つまりそれは本来そういうものであったはずのSFのありようだが、それをここまでの水準で、最新の知見を用いて行った例を、俺は寡聞にして知らない。例えば母胎内でのホルモンバランスとジェンダー。宗教体験と麻薬体験・・・。貴いはずのアイデンティティの基盤が、その実物質的な偶然によって左右されている事実を、イーガンは読者に容赦なくつきつける。最早この世界に、神秘の居場所はないのだ。

 自らの儚き自我のゆえに小説を読む人々は、須くこの書を手に取るべきだろう。絵空事ではないSFの一つの頂点。

ハヤカワSF 2000年12月発行