涼宮ハルヒの憂鬱(谷川流著)

ジャンル:SF  
 少女は反世界闘争の只中にいて、少年は少女の隣にいる。
 ならば、少年に少女と共闘する以外の選択肢は有り得るだろうか?
 つまるところ、その有り得なさこそがいつも変わらぬ現在形の青春のリアリティだ。
 この共闘、あるいはそもそもの闘争が既に破綻した時点から、現在形でない、すなわち非ジュブナイルの青春小説は始まる。喪失が絶対的に先行するところに、成熟を目指すモチベーションは初めて生まれえるのだ。
 これに対し、現在形の青春小説は勝てるかもしれない闘いとして始まる。物語は闘争として自覚され、勝利を目指して疾走する。それがどんな結果に終わるにしても、だ。
 あまりに容赦なく激越に、反世界闘争を妄想的に戦い抜く涼宮ハルヒの隣で、しかし主人公はこの闘争に参加する事を拒絶する。それも一切の悔恨なく。その上何と言うことだろう、世界のエージェントたちに唆されるまま、ハルヒの闘争を抑圧する側にさえ回るのだ!
 主人公は軟弱者であり、であればこそハルヒの闘争の激越さには耐えられない。であったとしても、その軟弱さゆえの敗北にハルヒを巻き込む事の浅ましさは看過して良いのか。ハルヒが初めて親しく接した異性である主人公に抱いてしまった恋心こそが彼女の幸福であると何故言えるのか。
 超越を巡るSF的な興味を人格小説的な恋愛の興味へ回収する事の俗悪さたるや!
 最大の問題は、作者がその俗悪さにまるで気付いていない事で、だからこの小説は主人公がハーレムでウハウハな喜びの中で幕を閉じ、それに一切の疑問が差し挟まれない。その傍らで自分の事を想ってもいない男に唇を奪われ、大願成就をすら妨害された可哀相な女の子がいるにもかかわらず。
 後味悪っ!

角川スニーカー文庫 2003年6月発行