いいわけ2

 四葉が髪を切ってきた。
 長かった―といっても鞠絵咲耶はどではなかった―髪の毛をばっさりと短くしてしまった。
 鈴凛よりも短いだろうか。襟足をほとんど残していないから、特にそう見える。七三に分けた前髪を、ピンで留めているそこだけは昨日までの四葉に見えた。
「どうしたの?」
「短くしたい気分だったのです。兄さんはそういう気分になる事はありませんか?」
「ある・・・と思う」
「なら、四葉もそうだったのです」
 軽そうになった小首を、四葉が傾げる。少し、寒そうに見えた。
 四葉ちゃんどうしたのー、と驚く雛子の声を聞きながら、僕は今一人の短髪の妹の事を考えていた。
 そういえば。四葉は泣きはしなかった。

 鈴凛が留学する、と言っても、まさか一生帰ってこないわけではない。平日でもある事だし、なにより本人の希望で、派手な見送りはしなかった。前夜にささやかなホームパーティーをし、当日は咲耶の運転する車で、成田まで大荷物を運んでいった。ぱたぱたと手を振って。意外なほどあっさりと、鈴凛は旅立っていった。
 鈴凛の乗った機が飛び立ってしまうと、咲耶が火の着いたように泣き出して、暫く手が着けられなかった。
 やっと泣き止んだ咲耶と家に帰ると、丁度四葉が高校から帰ってきたところだった。
 鈴凛は行ったよ、と告げるとそうですか、と無感情に答えた。
「それだけ?」
 と咲耶四葉を詰問する。一生戻ってこないわけでもないしメールだって手紙だってあるんですよ、という四葉の慰めは逆効果に決まっていた。そういう問題じゃないわ、と掴みかからんばかりの勢いで咲耶が猛る。
 ・・・鞠絵が止めに入らなければ、本当に殴っていたかもしれない。鞠絵咲耶に抱きつくでもなく羽交い絞めにするでもなく、ただその手をそっと握った。
 それで、咲耶も少しは落ち着いたらしい。
四葉ちゃん、お二階へ」
 鞠絵に促されるまま、四葉は何も言わずに二階の自室へ向かった。

 咲耶が落ち着いた頃合を見計らって、僕は四葉の部屋の扉をノックした。
 開いてます、と答えがある。声が遠い。
 ノックの途中でドアから飛び出していきなり首根っこにとびついてくるような子供では、四葉はもうなかった。
四葉
 四葉は扉に背を向けて、窓の外を眺めているらしかった。僕が入ってきたのにぴくりとも動こうとしない。
「お説教なら聞かないです」
「しないよ、そんなの」
 それで初めて、四葉はこちらを振り向いた。
「泣いてたわけじゃないんだ」
四葉にはよくわかりません。どうして・・・咲耶ちゃんは泣いてたんですか?」
 咲耶四葉の前では泣いてはいないはずだ。どうして空港で彼女が泣いてしまった事を四葉は知っているのだろう。
「簡単な推理です。咲耶ちゃん、目が赤かったです。それに、兄さんの服にファウンデーションが付いてました。以上から、空港で泣き出してしまった咲耶ちゃんを兄さんが抱きしめて慰めた事は明白です」
 四葉が僕の疑問に先回りして答える。聡い子だ、と思う。
「どうしてって・・・昨日まで一緒に暮らしていた人とお別れしたんだ。それは・・・寂しい事だろう?」
「でも、鈴凛ちゃんは昨日までここにいました。それでいいのではないですか。四葉鈴凛ちゃんと会えました。四葉、日本には兄チャマがいるとしか聞かされてなかったから、鈴凛ちゃんみたいなお姉ちゃんまでいて、四葉はなんてラッキーなんだろうって思いました。昨日まで、楽しかったです。明日からも鈴凛ちゃんが一緒なんて、そんなのはバチが当たります」
 君は誰憚る事無く幸せになっていいんだ、とは言えなかった。咄嗟に何も言い返す事が出来ない僕を横目に、四葉は言葉を続ける。
「別れて泣くのはヘンです。まだもらってないものをもうもらったものよりもすごいって思ってる事ですから」
 四葉が言っているのは、理には適っているけれどかなり辛い事だ。
「ホントは四葉、泣く気満々だったんですよ。
 でも、やめました。鈴凛ちゃんは自分の夢を叶えるために旅立ったのですから頑張れって笑顔で送り出してあげるのがホントの姉妹です。四葉が泣いたけど旅に出た、なんて言い訳は不要です」
鈴凛も大変だ」
「はい。大変ですね。でも、四葉を置いていっちゃったんですから、ざまあみろです」
 そして、笑った。

 咲耶は昔から一晩泣き明かせば全てを忘れるタイプだった。昨日は四葉の不人情を僕と鞠絵に繰言のように説いていた彼女は、だから心配そうに、僕に訊いてくる。
四葉ちゃん、どうしたの?」
「髪の毛を切りたい気分の時だってあるさ。咲耶だってそうだろう」
 咲耶は一瞬、釈然としない表情を見せた。でも、それは確かに一瞬の事だった。釈然としない事を釈然としないままにしておいてしまえるのが、この妹の人徳だった。
 鈴凛が旅立った次の日、四葉が髪を切ってきた。